2014年1月4日土曜日

1-5 完全なすがたとスピリット Wholeness and Spirit

奇跡とからだとは、どちらも学びの手助けになるという点においてよく似ているのだが、両方とも、それが必要でなくなる状態をもたらすことができるようにするための手助けである。
The miracle is much like the body in that both are learning aids for facilitating a state in which they become unnecessary.

(あなたが神と)直に意志の疎通をおこなうという(魂本来の)スピリットの本来の状態に達したとき、からだも奇跡も(今のように学びを体験するために)役に立つというようなものではなくなる。
When spirit's original state of direct communication is reached, neither the body nor the miracle serves any purpose.

しかし、(まだ)あなたがからだのうちにいると信じるあいだは、『(神からの)愛の伴わない(自我的な)表現経路』か『奇跡的な表現経路』か、そのいずれかを選べる。
While you believe you are in a body, however, you can choose between loveless and miraculous channels of expression.

あなたは空虚な殻を作ることはできるが、全然なにも顕さないというわけにはいかない。
You can make an empty shell, but you cannot express nothing at all.

待ったり手間取ったり自分を麻痺させたりできるし、あるいは自分の(あなた自身が神の一部としての)創造力をないも同然にまで減らせる。
You can wait, delay, paralyze yourself, or reduce your creativity almost to nothing.

しかし、完全になくすことはできない。
But you cannot abolish it.

(神のあなたとの)意志の疎通をする仲立ちとなるものをくじくことはできるが、自分の可能性はくじけない。
You can destroy your medium of communication, but not your potential.

(なぜなら、そもそも)自分で自分というものを創造したのではないのである。
You did not create yourself.



奇跡(≒赦しによって、単なる自我の投影を現実だと錯覚することから、本当の現実を観る魂本来の見方に移行すること)を行う気がある者にとって、基本的なきまりは必要以上に時間を待たないということである。
The basic decision of the miracle-minded is not to wait on time any longer than is necessary.

時間は無駄に過ごされもすれば、ただ過ぎ去っていきもする。
Time can waste as well as be wasted.

したがって、奇跡(≒赦しによって、単なる自我の投影を現実だと錯覚することから、本当の現実を観る魂本来の見方に移行すること)を行う者は時間を制御するための要素をよろこんで受けいれる
The miracle worker, therefore, accepts the time-control factor gladly.

その人は時間がつぶれるごとに、すべての者が『時間から究極的に解放された状態』に近づけられることに気づいており、そこでは御子(神の子)と御父(父なる神)とは一体である。
He recognizes that every collapse of time brings everyone closer to the ultimate release from time, in which the Son and the Father are One.

平等であるということは、今ここで平等だという意味を含んでいるのではない。
Equality does not imply equality now.

誰もがみな(本来)あらゆるものを持っていると認めれば、神の子としての身分のためにと、個々に尽力する必要はもはやなくなるのである。
When everyone recognizes that he has everything, individual contributions to the Sonship will no longer be necessary.



贖罪(≒人間は本来、罪も穢れもそもそもありえない無垢な神と共に在る存在であり、罪や穢れがあるというのは自我の幻想を見てそうだと思い込んでいるに過ぎないことを聖霊の力をかりて取り消しを依頼するという赦しを行うこと、それをサポートする聖霊の計画)が完了したとき、与えられている天分はすべて神の子みんなで分かち合うことになる
When the Atonement has been completed, all talents will be shared by all the Sons of God.

神は「えこひいき」するような存在ではない。
God is not partial.

神の子みんなが神の全き御愛をもっており、神のすべての賜物は一人ひとりに同じように、惜しむことなく自由に与えられているのである。
All his children have his total love, and all his gifts are freely given to everyone alike.

「あなたたちが、子どもの状態に立ちかえらないなら」という意味は、自分は完全に神の懐にあると十分に認めないかぎり、神の子が神と真に結ばれているときにそなわっている、神の子の本当の力がわからないということ。
"Except ye become as little children" means that unless you fully recognize your complete dependence on God, you cannot know the real power of the Son in his true relationship with the Father.

神の子たちが特別だといえるすがたになるのは、だれかを除外することによってではなくて、すべてのものをを含むことからだ。
The specialness of God's Sons does not stem from exclusion but from inclusion.

私のきょうだい(である人間)はみんな特別である。
All my brothers are special.

もしだれかが自分は何かを奪われていると信じるなら、知覚のしかたは歪んでしまう。
If they believe they are deprived of anything, their perception becomes distorted.

これが起きると、神の家族全員または神の子としての身分のつながりは弱まってしまうのである。
When this occurs the whole family of God, or the Sonship, is impaired in its relationships.



究極的には、神の家族はひとりのこらず必ず(神の懐へと)戻るべきである。
Ultimately, every member of the family of God must return.

奇跡(≒赦しによって、単なる自我の投影を現実だと錯覚することから、本当の現実を観る魂本来の見方に移行すること)は、たとえその人は自分がスピリットのうちにあると気づいていないとしても、なおその人を祝福し尊ぶので、一人ひとりに戻ってくるようにと呼びかける。
The miracle calls him to return because it blesses and honors him, even though he may be absent in spirit.

「神をあなどってはならない」とは、戒めではなくて安心させようとする励ましのことばである。
"God is not mocked" is not a warning but a reassurance.

もし神に創造されたものがすこしでも神聖さに欠けていたら、神はあなどられているということになるであろう。
God would be mocked if any of his creations lacked holiness.

神の創造は完全であり、完全であるという印こそが神聖なすがた。
The creation is whole, and the mark of wholeness is holiness.

奇跡(≒赦しによって、単なる自我の投影を現実だと錯覚することから、本当の現実を観る魂本来の見方に移行すること)は神の子としての身分を肯定する表現であり、その身分とはすべてが完了し、満ち満たされたるすがたである。
Miracles are affirmations of Sonship, which is a state of completion and abundance.



真実であるものは永遠であり、変わることはできないし、変えられてしまうこともない。
Whatever is true is eternal, and cannot change or be changed.

したがって、(あなたの本来の姿である)スピリットはすでに完全であるから変更できないものであるが、心はみずから仕えたいと思うものを選べる。
Spirit is therefore unalterable because it is already perfect, but the mind can elect what it chooses to serve.

その選択をする場合、唯一の制限は、二人の主人には奉仕できないということ。
The only limit put on its choice is that it cannot serve two masters.

もし心が選ぶなら、スピリットのなかだちとなれるのだが、それはスピリットが自らの創造された(神の)思いにしたがって創造するなかだちをするということ。
If it elects to do so, the mind can become the medium by which spirit creates along the line of its own creation.

もしこうすることを自由に選ばないとすれば、心はそれ自体の創造的可能性を保持するとはいえ、自らを(真に)権威ある存在のの支配下ではなく(自我という)圧制的に支配するものの下におくことになる。
If it does not freely elect to do so, it retains its creative potential but places itself under tyrannous rather than Authoritative control.

その結果、(自我という牢獄に)閉じ込められてしまうことになる。(自我という)暴君はとかくそんなことを命ずるものであるから。
As a result it imprisons, because such are the dictates of tyrants.

心を変えるとは、自分の心を真の権威者が自由にするに任せるとの意味である。
To change your mind means to place it at the disposal of true Authority.



奇跡(≒赦しによって、単なる自我の投影を現実だと錯覚することから、本当の現実を観る魂本来の見方に移行すること)はそうした心が私に導かれてキリストに仕えることを選んだ、というしるし。
The miracle is a sign that the mind has chosen to be led by me in Christ's service.

(あなた自身が)*キリストとして満ちあふれたすがたこそ、キリストに従うことを選んだ当然の成果である。
The abundance of Christ is the natural result of choosing to follow him.

浅い根はすべて根こそぎにしなければならない、あなたを支えるには十分な深さではないのだから。
All shallow roots must be uprooted, because they are not deep enough to sustain you.

浅い根はもっと深くできるし、そうすれば持ち堪えさせられると錯覚するのはゆがんだ見かたの一つだが、これは黄金律を逆にするもとになる。
The illusion that shallow roots can be deepened, and thus made to hold, is one of the distortions on which the reverse of the Golden Rule rests.

こうした間違った支えを放棄するにしたがって、一時的に気持ちが落ち着かなくなる。
As these false underpinnings are given up, the equilibrium is temporarily experienced as unstable.

しかし、ものごとをさかさまに見て、それを方向づけようとすることほど不安定なことはない。
However, nothing is less stable than an upside-down orientation.

ましてやそれを逆にしたままで支えておいて、安定感を増す助けになるものなど何もないのである。
Nor can anything that holds it upside down be conducive to increased stability.


*翻訳者註:ここで言うキリストとは、イエス・キリストという個人ではなく、誰もが持つキリスト意識のこと。