2014年1月2日木曜日

Text 1-2 について

☆翻訳者より☆

一言で要約してしまうのは多少乱暴になってしまいますが、テキスト1-2では、キリスト自身が「私たちとキリストとは何の違いもない、いずれ私たちとキリストが観ているものは同じものを観れるようになるのだよ」と伝えてくれているメッセージだと思います。

私たちの日常生活においても、ひらめきとかインスピレーションが沸いてきて、それに従うと、物事が完璧な形で進めれたり、とても幸せな現実につながる動きをできる時があるかと思います。

テキスト1-2で言う「啓示」とは、それが生活のある瞬間の部分的な出来事や状況に起こることではなく、人生そのものに起こる状態。

何かの具体的に役に立つアイデアがひらめきやインスピレーションで起こるというより、この自分が生きている「人生そのもの」に対して、自分の頭で考えたのではけしてない、大いなる存在から「強烈で圧倒的な」ひらめきやインスピレーションという形で内側に沸いてくる状態。

(テキストで言われているように、言葉ではいい表せない、まさに体験することで「なるほど、これが啓示というものか!」というものなのですが・・・。)

その時、神は「信じる」といった頭でとらえるものでなく、全身で「感じる」といった感覚になります。

奇跡のコースをしていれば、いずれ実際に体験する事になる感覚です。

テキストの内容は、一読ではなかなか分かりにくい内容を含んでいますが、書いてある事が今はわかりにくく感じても、「そんな事もあるのかな」と頭の片隅のどこかに染み込ませるようにして読み進めていくと、いずれ先々にそれが、生き生きとした深いメッセージとして受けとれるようになります。

まずは、そんな感覚で、2・3回は繰り返し読んでみると、いずれそれは宝物に変わることでしょう。