2014年1月7日火曜日

2-1 分離の起源 The Origins of Separation

拡張するということは神の根本的な心のあり方をあらわしており、神は神の子(である人間)にもこうあるようにと望んだ。
To extend is a fundamental aspect of God which he gave to his son.

創造するにあたり、神は自らを創造するものへと拡張したうえ、自分と同じように愛そのものにみちて創造するようにとの意志を吹き込んだ。
In the creation, God extended himself to his creations and imbued them with the same loving will to create.

あなたは満ち足りたすがたに創造されたのみならず、完全に創造されているのである。
You have not only been fully created, but have also been created perfect.

あなたには(自我が感じさせるような)空虚さなど(本来)ない。
There is no emptiness in you.

あなたは創造主に似ているので、創造的である。
Because of your likeness to your Creator you are creative.

神の子供のこの能力は生まれながらのものだから、だれ一人これを失うことはあり得ないが、それを(自我が)投影することによって不適当な使いかたはできる。
No child of God can lose this ability because it is inherent in what he is, but he can use it inappropriately by projecting.

適当とはいえないやり方で拡張したり投影したりすることが起きるとすれば、それは「自分はなぜか空しくて何か欠けている」と感じるが、真理の代わりに自分自身の(自我に基づく)想念でそうした不足を満たせると信じるときである。
The inappropriate use of extension, or projection, occurs when you believe that some emptiness or lack exists in you, and that you can fill it with your own ideas instead of truth.

このような過程はつぎに述べる段階を必然的に含む。
This process involves the following steps:


第一、神が創造されたものを、自分の(自我に基づく)心で変えられると信じる。
First, you believe that what God created can be changed by your own mind.

第二、完全であるものを不完全にしたり、欠けたものと為しえると信じる。
Second, you believe that what is perfect can be rendered imperfect or lacking.

第三、神が創造したものを(自我で)歪めることができると信じ、これには自分自身も含まれる。
Third, you believe that you can distort the creations of God, including yourself.

第四、自分で(自我に基づいて)自分を創造できるし、その創造の傾向は自分の(自我の)思いどおりにできると信じる。
Fourth, you believe that you can create yourself, and that the direction of your own creation is up to you.



このように関連した歪みは、分離したとき、すなわち「恐れへの回り道」において実際に何が起きたのかを表している光景といえる。
These related distortions represent a picture of what actually occurred in the separation, or the "detour into fear.

そのどちらも分離する前には存在しなかったし、実際には今も存在してはいない。
"None of this existed before the separation, nor does it actually exist now.

神が創造したものは何もかもみな神に似ている。
Everything God created is like Him.

神が取り掛ったような拡張は、父から子供たちが受け継ぐ内面的な輝きに類似している。
Extension, as undertaken by God, is similar to the inner radiance that the children of the Father inherit from Him.

それの本当の源は内在するものである。
Its real source is internal.

これは御子について真実だし、同じことが御父についてもいえる。
This is as true of the Son as of the Father.

この意味で、創造とは神が創造した御子と、心が癒された御子が創造するものとの両方を含む。
In this sense the creation includes both the creation of the Son by God, and the Son's creations when his mind is healed.

これには神が御子に自由意志を与えられることを要する、なぜなら愛そのものに満ちて創造されるものはみな一つに連なって惜しみなく与えられているからであり、そこではすべての側面が同じ階級にある。
This requires God's endowment of the Son with free will, because all loving creation is freely given in one continuous line, in which all aspects are of the same order.



エデンの園、または分離以前の状況は、心は何も必要としない状態だった。
The Garden of Eden, or the pre-separation condition, was a state of mind in which nothing was needed.

アダムが「へびの虚言」に耳を傾けたとき、そこで聞いたことはみな偽りだった。
When Adam listened to the "lies of the serpent," all he heard was untruth.

あなたがそうすることを選ぶのなら別だが、真実でないことを信じ続ける必要などないのである。
You do not have to continue to believe what is not true unless you choose to do so.

そうしたことはすべて単に誤って知覚したことにすぎないのだから、文字どおり、瞬く間に消え失せてしまう。
All that can literally disappear in the twinkling of an eye because it is merely a misperception.

(自我の投影の)夢のなかでの出来事がきわめて本当のように思えるものである。
What is seen in dreams seems to be very real.

依然として聖書には、アダムが深い眠りについた、とあるけれども、アダムが目覚めたことを言及するところはどこにもない。
Yet the Bible says that a deep sleep fell upon Adam, and nowhere is there reference to his waking up.

この世はまだ、包括的な目覚めや再生を少しも経験してはいないということになる
The world has not yet experienced any comprehensive reawakening or rebirth.

ここでいう再生は、(自我の無意識の罪悪感を)投影したり誤って創造し続けるかぎり不可能だ。
Such a rebirth is impossible as long as you continue to project or miscreate.

しかしながらそれは、神が自分のスピリットをあなたに拡張されたと同じように拡張するために、あなたのうちに今も存続する。
It still remains within you, however, to extend as God extended his spirit to you.

実在においては、ただこうすることを選べるだけだ、なぜなら、あなたの自由意志は完全なものを創造するという喜びのために与えられているからである。
In reality this is your only choice, because your  free will was given you for your joy in creating the perfect.



恐れというものはみな、結局のところ、自分は神の力さえ奪う能力をもっていると基本的に誤って知覚することからくる、と集約できる。
All fear is ultimately reducible to the basic misperception that you have the ability to usurp the power of God.

もちろん、あなたにはそんなことはできもしないし、為し得てもいない。
Of course, you neither can nor have been able to do this.

これこそ恐れから逃れるための本当の根拠となる。
Here is the real basis for your escape from fear.

贖罪を受け入れることによって恐れから逃れることができるし、この贖罪が自分の誤りは決して実際には起こらなかったと悟らせてくれる。
The escape is brought about by your acceptance of the Atonement, which enables you to realize that your errors never really occurred.

アダムはただぐっすりと寝込んでいるあいだに、(自我という)悪夢を経験できるというわけだ。
Only after the deep sleep fell upon Adam could he experience nightmares.

もし、だれかが恐ろしい夢を見ている中に突然明りがついたら、とっさにその明り自体も夢の部分だと判断して怖がるかもしれない
If a light is suddenly turned on while someone is dreaming a fearful dream, he may initially interpret the light itself as part of his dream and be afraid of it.

しかしながら目覚めたときには、その光は夢から解放されたということだと正しく知覚し、もはやそんな夢を実在だとは認めない。
However, when he awakens, the light is correctly perceived as the release from the dream, which is then no longer accorded reality.

こうして解放されることは(自我の)錯覚に左右されるわけではない。
This release does not depend on illusions.

光明を投ずる叡智があなたを自由にするだけでなく、たしかに自由だということをあなたにはっきりと見せてくれる。
The knowledge that illuminates not only sets you free, but also shows you clearly that you are free.



あなたが(自我が思わせる)どのような嘘や偽りごとを信じようが、それは奇跡(≒赦しによって自我の見方ではない魂本来の見方に移行すること)にとって問題ではなく、どれも同じように容易に癒すことができる。
Whatever lies you may believe are of no concern to the miracle, which can heal any of them with equal ease.

奇跡(≒赦しによって単なる自我の投影を現実と錯覚していたのを取り消し、魂本来の見方で『本当の現実を見る』ことに移行すること)は誤って知覚されたものごとを区別しようとはしない。
It makes no distinctions among misperceptions.

ただ関心があるのは、対立している真理と(自我の投影という)誤りとを見分けることだけだ。
Its sole concern is to distinguish between truth on the one hand, and error on the other.

ある奇跡はその規模がほかのより大きいように思えるかもしれない
Some miracles may seem to be of greater magnitude than others.

しかしこの奇跡のコースが説く第一の原理を忘れないでほしい。『奇跡に難しさの順序はない』のである。
But remember the first principle in this course; there is no order of difficulty in miracles.

実在において、あなたは愛そのものを欠いているどのような表現にも、まったく影響されてはいない。
In reality you are perfectly unaffected by all expressions of lack of love.

こうした表現は、自分とほかの人たちからの表現だったり、自分からほかの人たちへの表現だったり、ほかの人たちから自分への表現だったりする。
These can be from yourself and others, from yourself to others, or from others to you.

平安はあなたの中にある属性。
Peace is an attribute in you.

それを外に見いだすことなどできないのである。
You cannot find it outside.

病気になるのは何かを外に捜し求めようとしているすがたともいえる。
Illness is some form of external searching.

健康であるとは心が平安であるということ。
Health is inner peace.

それはあなたが外面の愛に欠けたものごとによって動揺させられることなどなくし、そのうえあなたが奇跡(≒赦しによって単なる自我の投影を現実と錯覚していたのを取り消し、魂本来の見方で『本当の現実を見る』ことに移行すること)を受け入れることで、ほかの人たちに愛が欠けているために生ずる状況なども本来の姿に戻せるようになるのである。
It enables you to remain unshaken by lack of love from without and capable, through your acceptance of miracles, of correcting the conditions proceeding from lack of love in others.